菅原道真公・ご神徳について
北野天満宮のご祭神である菅原道真公は、幼少の頃より学業に励み、情緒豊かな和歌を詠み、格調高い漢詩を作るなど優れた才能の持ち主でした。
学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮し、異例の出世を重ねられた道真公は、昌泰2年(899)右大臣の要職に任命され、左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括されます。
ところが、突如藤原氏の策謀により、昌泰4年(901)大宰権帥に左遷され、そのわずか2年後、大宰府の配所にて波乱の生涯を閉じられました。
道真公の清らかで誠実な人柄と晩年の不遇はさまざまな伝説を生み、やがては天神さまと崇められ、現代でも盛んな信仰へと展開します。また、「文道の大祖・風月の本主」と仰ぎ慕われ、学問の神さまとしての信仰は昔も今も変わることなく、人々の生活のなかで受け継がれています。
道真公の精神は「和魂漢才」の四文字に集約されるように、自国の歴史と文化にしっかりとした誇りを持ち、他国の文化も受けいれる寛容さが特徴です。道真公が生涯一貫された「誠の心」は、今も日本人の心に生きつづけています。
[北野天神縁起絵巻 承久本]
国宝。北野天満宮の草創の由来と、その霊験譚を集めた絵巻。鎌倉時代の作といわれる。
道真公の主な7つのご神徳
道真公の御神徳は数えつくせませんが、主なものは次の通りです。
農耕の神
雨を降らす雷を古代人は天神として崇めてきました。その年の農作物の実りを感謝する秋の「ずいき祭」は、農耕の神としての天神信仰を象徴するお祭りです。
正直・至誠の神
「海ならずたたへる水の底までも 清き心は月ぞてらさむ」
道真公は御歌が示す通り、清く明き誠の心を生涯貫かれました。「九月十日」の詩・「恩賜の御衣」に象徴されるのは忠誠心。配所で帝から賜った御衣を毎日捧げ持ち、その恩恵を偲ばれた道真公は、やがて至誠の神として信仰されるようになりました。
冤罪を晴らす神
配所で薨去(こうきょ)された道真公の冤罪が晴れたことを祝う明祭は4月20日。このことから無実の罪に泣く弱者を救ってくださる神との信仰が生まれました。
学問・和歌・連歌の神
道真公は早くも5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を作り、14・5歳で天才と賞賛され、後には「文道の大祖・風月の本主」と仰がれました。江戸時代に寺子屋が庶民の教育機関として普及し、道真公に書道の上達と学業成就を祈ったことから、学問の神さまとして広く篤く信仰されるようになりました。
渡唐天神(ととうてんじん)
道真公が唐(宗)に渡って禅師のもとに参禅し、奥義である衣鉢を受けたという伝説から、室町時代に、禅僧の間で文学神として道真公の信仰が広まりました。
芸能の神
貴族から庶民まで多くの参拝者を集めた当宮では、古くから境内周辺で田楽、能、狂言、連歌といったさまざまな芸能の催しが行われてきました。豊臣秀吉公の北野大茶湯や、出雲の阿国が初めて歌舞伎踊りを上演するなど日本文化の歴史的な舞台ともなり、文芸・芸能にゆかりの深い神社となりました。
厄除の神
平安京の「乾(北西)」の守り神として創建された当宮は、厄除け、災難除けの社としても篤い信仰があります。2月25日の梅花祭には、白梅42本・紅梅33本の小枝を挿し玄米を入れた筒状の紙立(こうだて)をお供えします。これは男女の大厄を祓う意味が込められています。
霊験あらたかな天神さまのご神前へ