北野天満宮には数多くの祭典、行事があり、一年を通して参拝の方が絶えません。
その中から主な行事をご紹介します。
季節により日程や時間が変更になる場合があります。
詳しくは当サイトのニュースページでご確認ください。
毎月25日は「天神さんの日」で知られる当宮のご縁日。菅原道真公の御誕生日である6月25日と薨去(こうきょ)された2月25日に由来しています。参道には6時頃~21時頃まで露天が所狭しと立ち並び、日没から境内のライトアップも。350の石燈籠と250の釣燈籠にあかりが灯されると、国宝の本殿をはじめとする社殿が美しく浮かび上がり、昼とは違った幻想的な雰囲気の中で拝観いただけます。
□ライトアップ 日没~21時まで 境内自由
ご縁日
年頭にあたり、皇室の繁栄と、国家国民の隆盛、世界平和を祈願する祭典。境内は終日、初詣の方々で大変な賑わいをみせます。
初詣の様子
新年の授与品招福の梅の枝
「思いのまま」
菅原道真公は優れた政治家であると共に、漢詩や和歌に代表される歌人として、また嵯峨天皇、小野道風と並び「三聖」と称えられた書家でもありました。1月2日、本殿の内陣に菅公御遺愛の書道具をお供えして道真公のご神徳を偲び、書に親しむ人々の技芸の向上をお祈りする筆始祭を斎行し、続いて天満書を行います。天満書とは天神さまの神前で書初めを行い書道の上達を願うことで、2日から4日までの間、絵馬所にて受付をしています。また、皆さまから奉納された書初めは1月下旬より展示公開しています。
天満書
毎月25日の当宮のご縁日の中でも、特に賑わうのが1月25日の初天神と12月25日の終い天神です。例月より多い約1000軒の露店が立ち、人出は約15万人に及びます。初天神は入試を直前に控えた受験生や父兄の参拝も多く、合格祈祷を受けたり、絵馬に願い事を託す真摯な姿に、学問の神さまである当宮への篤い信仰を如実にみることができます。
初天神
節分の日は立春の前日(旧暦の大晦日)にあたり、向う一年の災厄を祓い、病いを除く祈りをこめた年中行事が追儺です。本殿での節分祭の後、神楽殿にて「北野追儺狂言(きたのついなきょうげん)」、上七軒の芸舞妓さんによる日本舞踊の奉納、豆まきが行われます。災難厄除けのお札やお守りの授与もあります。
豆まきの様子
菅原道真公ゆかりの梅50種約1,500本が約2万坪の境内一円で咲き競い、「天神さんの梅」として知られています。早咲きの梅は例年12月中旬頃からつぼみがふくらみ始め、正月明けから徐々に開花し、最も見ごろを迎えるのが2月下旬から3月中旬。梅苑は例年2月初旬に公開します。梅苑では期間中、茶屋を設けて梅茶とお菓子を楽しむことができます。
梅苑について、もっと詳しく
開花後の梅苑
菅原道真公の祥月命日に行われる祭典で、約900年の歴史があります。お米を蒸して大小2つの台に盛った「大飯」「小飯」や白梅・紅梅の小枝を挿した「紙立(こうだて)」という特殊な神饌を供え、道真公のご遺徳をしのびます。授与所では「紙立」に用いた玄米を「厄除玄米」として授与しています。
また、この日、三光門前広場では「梅花祭野点大茶湯」を催します。豊臣秀吉公が当宮で北野大茶湯を催した故事にちなみ、道真公の薨去(こうきょ)後1050年の大萬燈祭にあたる昭和27年から始まった行事です。上七軒の芸妓さんたちの奉仕により、梅の盛りを迎えた境内で華やかな野点を楽しんでいただけます。
梅苑について、もっと詳しく
梅花祭 祭典
梅花祭 お供え
野点大茶湯
五穀豊穣を大神様に祈願する、春祭(祈年祭)を斎行します。
春祭の様子
境内の末社・文子天満宮の例祭。菅原道真公を最初におまつりした多治比文子の屋敷跡である西ノ京の御旅所まで神輿が渡御します。
文子天満宮祭
ご祭神菅原道真公は、藤原氏の策謀により大宰府に流されましたが、その冤罪が晴れた日が4月20日です。その喜びを神前に報告する祭典を行います。
摂社の火之御子社は当宮が鎮座した天暦元年(947)以前よりこの地にあり、「北野の雷公」と称えられてきました。雨乞い・豊作の祈願から次第に雷除けが主となり、近年ではゴルファーや釣り人の間でも信仰が広がっています。祭典では午前4時、古式にもとづき「火打ち石」で浄火を点じ、一年の五穀豊穣と落雷が少ないことを祈願します。雷除けのお札やお守りも特別に授与しています。
火之御子社
雷除けのお札やお守り
菅原道真公は承和12年(845)の6月25日に誕生されました。そのお誕生日の祭典が御誕辰祭です。前夜から神社に参籠して身を清めた宮司以下神職の奉仕により厳粛に斎行します。
御誕辰祭
6月25日の御誕辰祭は「夏越(なごし)天神」ともいわれ、真夏を迎えるにあたって無病息災を願う「大茅の輪くぐり」を行います。楼門に掲げられた「大茅の輪」は、直径約5メートルで京都最大といわれています。厄除け・病気除けとして直径7~8センチほどの小型の「茅の輪」の授与もあります。
楼門の大茅の輪
授与品 茅の輪
素戔鳴命(すさのおのみこと)に旅の宿を供して難儀を救った蘇民将来(そみんしょうらい)が、教えに従い腰に茅の輪を下げたところ、子孫に至るまで災厄なく栄えたという神話に由来する行事。本殿正面に設けた「茅の輪」の前で16時より神事を執り行い、神職とともに「茅の輪くぐり」を行って、日常無意識のうちに身につけた罪や穢れを祓い、無病息災を祈願します。
直径7~8センチの小型の「茅の輪」の授与もあります。
茅の輪くぐり 祭典
茅の輪くぐり
境内で育った梅の実は、梅雨明けをうけて神職・巫女総がかりで土用干しを行います。6月上旬より採取し塩漬された約2.5トンの梅の実を樽から取り出し、すのこの上にむしろを敷いて並べ、約4週間かけて干し上げます。カラカラに干し上がった梅の実は、再び塩をまぶして樽に11月下旬まで貯蔵した後、12月13日の事始めの日から12月25日の終い天神(しまいてんじん)の頃まで、参拝者に授与しています。
大福梅の土用干し
菅原道真公の詠まれた詩に「ひこ星の行(ゆき)あひをまつかささぎの渡せる橋をわれにかさなむ」とあるように、当宮の七夕神事は古くより重要なお祭りの一つとされてきました。当宮では「御手洗祭」といい、ご祭神に七夕の詩をお詠み戴くことと、農作物の生育、万民の無病息災を祈願する節句行事です。神前に道真公の御遺愛と伝わる書道具や夏野菜、御手洗団子などをお供えして祭典が斎行されます。
七夕祭は本来「棚機祭」と書き、機織りの町・西陣地域らしく機織りの祖神・天棚機姫神(あめのたなばたひめのかみ)のお祭として根強い信仰を守ってきました。
道真公の御遺愛と伝わる書道具
御手洗祭
境内のライトアップも実施
御手洗川足つけ燈明神事
当宮創建の翌年から始まり、永延元年(987)に一條天皇の勅使(ちょくし)をお迎えしたことから国家の祭祀となった、当宮で最も大切な祭典です。皇室の繁栄と国家安泰、五穀豊穣、無病息災を祈願します。
例祭
御供え(夏野菜)
京都の代表的な秋祭として知られる祭典。菅原道真公が大宰府で彫られた木像を随行のものが持ち帰っておまつりし、秋の収穫時に野菜や穀物をお供えして感謝を捧げたことが始まりと伝わります。1日の「神幸祭」で天神さまを本社より西ノ京の御旅所にお遷しし、2・3日目は御旅所にて献茶祭などを斎行。4日の「還幸祭」で本社に戻られます。野菜や乾物で飾られた「ずいき御輿」は、ずいき祭の期間中、御旅所に展覧され「還幸祭」で巡行します。
その年ごとにテーマを設けて飾り付け
ずいき祭 鳳輦(ほうれん)
ずいき神輿をかつぐ人々
寛弘元年(1004)のこの日、一條天皇がはじめて北野社に行幸されたことから、当宮は朝廷より「北野天満天神」の称号を賜り、以降、皇城鎮護の神、国家護持の神として歴代天皇の行幸が行われるようになりました。これを記念した祭典で、60年余り途絶えていましたが平成25年に再興しました。
一條天皇行幸始祭
菅原道真公が宮中の重陽(ちょうよう)の宴で詩を詠まれ御衣を賜ったことを、一年後に大宰府で追想して詩を作られたことに由来する祭典。長らく絶えていましたが大正時代に再興し、全国から寄せられた詩(献詠)を選出してその披露を行います。当日は神前に黄菊、白菊を飾り、全員が冠に小菊をかざして奉仕します。
菅原道真公の詩は次のとおりです。
『去年今夜待清涼、愁思詩篇独断腸、恩賜御衣今在此、捧持毎日拝余香』
現代の言葉にすると次のような意味です。「去年のちょうど今夜、清涼殿で催された宴で、自分は国家万民のためにどれ程勤めることが出来、今後どれだけ臣下として忠勤に励むことが出来るだろうという詩を詠み、醍醐天皇に衣を賜るほど称賛いただいた。その『恩賜の御衣』は今も大切に携え、毎日捧げ持っては御衣にたきしめられた残り香に、君恩のかたじけなさに感じ、涙にむせぶのだ。」
余香祭
余香祭 菊の花の冠
当宮の境内西側には、天正19年(1591)に豊臣秀吉公が築いた土塁「御土居」の一部が残り史跡に指定されています。御土居一帯は紅葉の名所として知られ、樹齢350年から400年の古木をはじめとする約350本のもみじが赤や黄に色づき、見事な眺めを見せてくれます。期間中、夜間ライトアップを実施し、上七軒の舞妓さんによる舞や北野天神太鼓会の奉納演奏などの催しも多数行われます。
もみじ苑について、もっと詳しく
鶯橋からの紅葉
境内ライトアップ
舞妓さんの舞の披露
今年収穫された新穀を供え、神の御恵に感謝する祭典を斎行します。
12月1日の献茶祭で使用するお茶の葉を奉納する祭典。宇治をはじめ京都各地で生産された碾茶(てんちゃ)は茶壷に詰められ、産地ごとの唐櫃(からびつ)に収めて運ばれます。一の鳥居から本殿まで茶摘み娘の先頭によるお茶壷行列は、多くの見物を集める晩秋の風物詩。10時45分から一の鳥居前を出発します。茶壷は神前に供えられたのち、古式ゆかしく口切式が執り行われます。
奉献された御茶
口切式
御茶壷道中
豊臣秀吉公が天正15年(1587)10月1日に催した「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」に由来する400年の歴史をもつ祭典。11月26日の御茶壷奉献祭・口切式で奉納された碾茶(てんちゃ)をひいて用います。京都の4家元2宗匠(藪内家・表千家・裏千家・武者小路千家・堀内家・久田家)が6年毎に輪番で奉仕し、神前に供える献茶式を行った後、境内では各所に茶席を設け、ご参拝の方もお茶を楽しむことができます。拝服茶券は11月上旬から配布しています。
献茶式
正月準備を始める12月13日の事始めより、当宮の境内で作られた「大福梅」を授与いたします。「大福梅」は、元旦の朝に一年の無病息災を祈る祝膳の初茶。その起源は、平安時代に疫病が流行し「天皇御脳にかかり給いしがこの茶を服し給えば御脳たち所に平癒す。これより王服(おおふく)と称して毎年元旦にこの茶を服し給い、萬民これを倣い年中の疫病邪気を除き長寿幸福を得るなり。」と伝えられたことから。のちに縁起のよい「大福」の字があてられました。
大福梅について、もっと詳しく
大福梅
大福梅の授与
当宮の縁日(毎月25日)の中でも特に12月25日は終い天神と呼ばれ、師走の恒例神事として多くの参拝者で賑わいます。参道には露店も例月以上に多く、植木・骨董・古着・衣料品などの店に加えて、「葉ボタン」・「〆飾り」・「荒巻き鮭」などの正月用品も多数見られます。社頭では正月の祝箸やお屠蘇等などを授与しています。
終い天神
新しい年を清々しく迎えるために当宮ではさまざまな儀式を行っています。人形(ひとがた)を用いて私たちが知らず知らずの内に身につけた罪やけがれを祓い清める「大祓(おおはらえ)」、今年の無事を奉告し、新年の平穏を祈る「除夜祭(じょやさい)」を斎行。雷電・火難・五穀の守護である摂社の火之御子社では火打石を使って新しい火をきり出す「鑽火祭(きりびさい)」を斎行し、この浄火を移した火縄を夜中より元旦早朝にかけて授与します。この火を元旦の食事の調理につかうと、その年が無病息災で過ごせると伝えられる伝統行事で、「天満宮のおけら詣」として知られています。
三光門前の参拝者のにぎわい